第二次世界大戦の敗戦で、GHQ連合国軍最高司令官総司令部が日本で活動するようになると、1950年代当初の「乗用車生産を日本がすべきか否か」という国レベルでの大議論を経て、アメリカ車が多かったが、しかし、最終的にすべきと判断した国と自動車メーカーが技術取得のためにライセンス生産した車は欧州車であった。1950年代から1960年代はアメリカ自動車産業の最盛期であり、アメリカ車は憧れの対象であった。オイルエレメント で乗られている自動車とはどんなものなのかを日本人はこのとき知った。GHQ関係者が使用するためである。東京を中心に大量の車が持ち込まれた。